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Channel: 暁の広場
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聖博物館航空資料館訪問

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2015年6月10日 信州麻績村山中にある聖博物館を訪問しました。他に用事はあったもののわざわざ出向いた理由は突っ込みどころ満載の航空資料館資料展示を見る事にあったのですが。。。。

一帯には聖湖やスキー場、キャンプ場が隣接され村営の小規模レジャー施設を形成しています。航空機などの大型展示は屋外に野ざらしで見学は無料

数時間の高速道路走行してまで見に行く興味を掻き立てられたのは屋外展示機のF-86Dがその理由のひとつです。F-86Dは戦後米軍から供与された防空戦闘機で米軍が機種更新をし余剰機をさらに追加した為一時期相当数の配備が行われました。

 主な任務は要撃戦闘で複葉機の昔から装備が常識だった近接戦闘用の機銃が装備されていません。機首下に格納された撃ちっぱなし連装ロケット弾”マイティーマウス”が唯一の装備品です。この火器管制用のレーダーや照準演算コンピューターの為に出鼻となったエアインテーク上のレドームが大きな特徴です。

 この無誘導兵器からの誘導ミサイルへと進化していくのですがF-4Phantomではまた機銃非搭載の過ちを繰り返しました。危険なドッグファイト(ACM)を避け安全な距離から誘導ミサイルをという過信です。この時代のミサイル命中精度ではまだ時期が早すぎ故障や不発不命中が多発。。。後年F-4には機首に再び20mm機関砲が装備され以後第五世代戦闘機に至るまで機関砲や機銃の省略はありません。

F-86Dでは尾翼下面周辺にボルテックスジェネレータが配置されていました。これは乱流発生小翼で主翼の発生する乱流や迎え角で生じる気流の乱れなどに対処するもので敢えて気流の乱れを作り揚力の変化を抑える目的があります。現在ではこのような大きなフィンはレーダーの反射を増大させてしまうためにより小さいかもしくは他の方法を採用し省略。。。。

日の丸マークはエアブレーキ部分に大きく被さる位置にマーキングされています。F-86Fではもう少し前に移動しました。

後継となったF-86Fも展示されていました。比較すると細部では大きく異なっています。

F-86F 長年日本の空をまもった機種で初代ブルーインパルスもこの機種でした。機首左右には6門の12.7mm機銃が装備されています。プロペラ機の時代からジェットの時代になり本格的なドッグファイトでは一瞬の射撃チャンスしか無いために数で勝負の発想はまさにアメリカ的。。。初期の射撃照準コンピューターを搭載し目標機の将来位置を予測し従来人間の勘に頼った見越し射撃を機械の補助で行いました。

 Gun Bay Doorが修理され新しくなっています。他の機もそうですが継続的に外装は細かな箇所まで修理復元されクリーニングされて綺麗な状態です。これは自衛隊員がボランティアで定期的に補修やクリーニングを行っているそうです。

 

 F-86F尾翼周辺にはボルテックスジェネレータが見当たりません。機体設計の見直しと尾翼自体が稼働する構造に変更されたためでしょう。

 日の丸のマーキングが前方に移動されています。

 前縁スラットは主翼前部に大型のものが装着されています。ジェットでの高速化で主翼面積を小さくした為低速時の揚力を発生させ失速を防ぐ必要があった為でしょう。

Fー104J 別名ペンシルロケットとか後家製造機(widow maker)とか揶揄されながらも西側諸国に長年にわたり配備された高空制空戦闘機 マッハ2を超える機体はまさにロケットの様で小さな主翼では大きな揚力を期待できず離着陸時には失速を防ぐ為に高速度が必要だったと言われています。

 今回は主翼後端に珍しい物を見かけました。主翼はマッハ2を実現する為に極めて薄く作られていて主翼後端は5mm程の厚さしかありません。駐機中の整備で整備クルーやパイロットが首を切らないよう地上ではプラスチックのカバーが取り付けられました。他所のF-104Jの展示ではカバーが装着された機体を見た事がありません。ましてや屋外展示機でオリジナルカバーがついてるのは極めて珍しい。

エンジンは外されて屋内の航空資料館へ展示

 さて訪問の目的であった突っ込みどころ満載の航空資料館は元小学校だった建物を改装する際にこのIHI製F-104JエンジンとC-46Dのレシプロエンジン一基を除きすべて自衛隊に返還してしまったようです。え~っ なんですと~! あの不気味なマネキンが着た与圧スーツやまるで藁人形のカカシに着せたサバイバル耐寒スーツや昭和初期の秘宝館のような手書きのパネルやなんかが見られないとは。。。。 ツッコミ出来ないではないですか!

 この妙な残念感は私だけでは無かったようで受付の係のおばさんと話してたら”そういう方結構お見えになるんですよ”と。。。 webの過去記事に博物館側はこれらの展示を止めてしまったんだろうか。。。

 改装前には終戦間際に作られたと思われる木枠と布張り内部にゴムを貼った海軍偵察観測機”彩雲”の増槽があったらしいが何処にいってしまったんだろうか?

 もうひとつの屋外展示の目玉は不戦のまま爆沈した戦艦陸奥の41センチ主砲です。陸奥の爆沈は公式には原因不明と言われ様々な憶測が流れています。有力なのは乗組員の火薬庫への放火説らしい。。。

 陸奥は戦後一部を引き上げられ展示やスクラップになりました。8門あった41センチ主砲は現在ここ聖博物館と船の科学館、ヤマトミュージアム、日植記念館、海上自衛隊第一術科学校に展示されています。 船の科学館展示の陸奥主砲は船の科学館経営不振から横須賀市のヴェルニー公園に移転するそうです。陸奥は横須賀で建造され生まれ故郷にその一部が帰ってくることになります。

信州の山の中に何故こんな航空機展示などがあるのでしょうか?以前の村長は第一術科学校で教官をした経歴があることが関係しているらしい。。。

 航空展示へのツッコミを用意していた私は完全に肩透かしをくらいましたが初夏の昼下がり楽しい時間を過ごしました。 航空展示を目的に訪問するならばエンジン2基みるのに入館入場料¥300を払う価値はあるのか甚だ疑わしい。。。

 


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